くちびるに歌を

くちびるに歌を

散らぬ牡丹の一つでいい。君の胸を打て。

フェイクスピア(WOWOW)について

WOWOWで録画したものを見ました。
言葉が出ません。安易に感想を発することが出来ないくらいには胸に迫るものがありました。感動とは言い難いくらいあまりにも重い感情を受け取った気がします。

舞台設定のネタバレを踏んではいたんですが、高橋一生さんがパイロットの衣装で登場した瞬間、比喩ではなく涙止まらなくなってしまいました。

 

 

物語は何たるものであるべきなのでしょうか。
この物語を不謹慎だという人が言うかもしれない。逆に感動的な物語だと言う人がいるかもしれない。私はどちらでもない感想を持ちました。ただただ衝撃的で、これを作った野田秀樹さんに底知れない恐ろしさを感じました。

私は演劇って「経験」だと思っています。人によって感じ方は様々だけど、閉鎖的な空間の中で目の前で物語が繰り広げられる舞台というものは誰から見ても恐ろしく「リアル」です。
でも、いくら「リアル」でもそれはフィクション。いくら登場人物が酷い目にあっても最後はカーテンコールで演じた役者が笑顔で手を振っている。良かったフィクションだった。そう観客は安心する。それが舞台です。

 


でも、フェイクスピアは違ったんです。いくらあの物語が舞台であっても、あの言葉は、「本物」だから。それが心理的な安全性を根本から揺るがすものであると私は恐ろしく感じました。多分これから私は飛行機を見る度にこの舞台を思い出してしまう。それくらい人の記憶に暴力的に爪痕を残すような作品だと思います。
でも、恐ろしさを感じつつも、同時にこの構成を考えた野田秀樹さん、主人公を心に迫るくらい演じきった高橋一生さんに尊敬の念しかありません。また、個人的に注目したいのは、この物語は亡くなった人の痛みや無念を直接的には描かなかったということです。特に後半はただ不在の神様に抗った姿を「本物」の言葉で紡いだだけ。もしかしたら野田秀樹は私たちにあのノンフィクションの言葉を「目撃」してもらいたかっただけなのかもしれません。

 

人間は自分の悲しみを昇華して飲み込むために「物語」にするっていう話を私はいつだか授業で聞いたことを覚えています。この物語が少なくとも誰かにとっての何らかの着地点になって欲しいと願っています。少なくとも私は、何かを受け取れたように思います。


「SHIROH」、「DearEvanHansen」、「PARSMUSHIR」に続いて、また守りたい物語が出来たように思います。