くちびるに歌を

くちびるに歌を

散らぬ牡丹の一つでいい。君の胸を打て。

ナイツテイル 11/5 ソワレ

もう年越しだ!!!やばい!!!

ということで、書き溜めてたレポを高速で消化していこうと思います。

まずはこちら!!

 

11/5

ソワレ

帝国劇場

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なんと前のエリザ2019年の8月22日ぶりの帝国劇場、そして芳雄さんでした。

嘘だろ…

 

久しぶりの帝劇で、噂に聞いていたハッピーギリシアミュージカルが見れて本当に楽しかったです!!

 

なんか以下感想というか考察文

↓ちょうど授業でギリシア悲劇について学んだのでメモ程度に書き起こしてみました↓

 

ギリシア悲劇における「法」の構図

アンティゴネーのお話を取り上げたい。
オイディプス王の娘アンティゴネーは王権争いで死んでしまった実兄を埋葬しようとする。しかし、新王クレオンはポリスの法に従ってその埋葬を禁じた。その法を守らず実兄を埋葬しようとしたアンティゴネーは捕らえられ牢屋に入れられてしまう。獄中でアンティゴネーは自死を遂げてしまい、アンティゴネーの婚約者にしてクレオンの息子ハイモンも、その母でありクレオンの妻であるエウリディケーもその後を追い、亡くなってしまった。」

この場合王とは「法の神聖さを守る者」であり、「ポリスの法を遵守」することに重きを置いている。法を守らなければポリスの秩序が保たれないためである。
ヒロインは「調和と秩序を破る者」。「書かれていない神の法の遵守」つまり愛とか情とか個人的な感情を優先する。

この個人考え方の違いは物語の緊張感を産む。
アンティゴネーではこの法の対立からヒロインは死んでしまい連鎖的に悲劇が起きる。

 

悲劇を回避するために
ナイツテイルの話に戻りたい。ナイツテイルの原案になった「2人の貴公子」という物語がある。大筋は同じであり、登場人物も同じである。しかし、結末が全く異なる。アーサイトが死んでしまったり、エミーリアがパラモンと結ばれたりする。ナイツテイルを悲劇にしないためには決闘を未然に防ぐことが重要であった。
その方法は2つである。

 

ナルキッソスの話
2人の戦いが自己愛によるものであると意味付ける。彼らは愛するもののために戦っているのではなく、自分自身のために戦っているのだと。自己愛は身を滅ぼすと結論に持っていく。

②新たな神への信仰
神そのものを登場させることにより、ポリスの方よりも上位の法を見せる。法の対立による個人の緊張感を緩和させ、人間同士の争いではなく人間と神という構図にする。


新たな神は反発されるのではなく祝福され受け入れられるというのも興味深い。

 

その他ギリシア悲劇のあれこれ

・劇の前後で「これは劇である」ということをあえて強調(あまりない形かも。蜷川さんが似たようなことやってたかな?)
私たちが古代の役者の劇を見に来てる気分。
例えば私たちが見ているのはパラモンであり、
パラモンを演じる古代の役者であり、
パラモンを演じる古代の役者を演じる井上芳雄である。

 

ソネット調のセリフ
シェイクスピア的である一方日本の韻の踏み方を真似ていると感じる。歌舞伎?落語?に近いかな?

 

・「ちょっとだけ泣いてちょっとだけ死ぬ」
死ぬの解釈。「心を殺す」って意味なのか、「眠る」ってのの隠喩なのか、、。シェイクスピアマクベスなどで「眠り」を効果的に使っているので後者の線もありそう。

 

小難しいことを書いてしまいましたが、

最推し芳雄さんの殺陣は最高だったし、光一さんのダンスは最高だったし、桂さんのお歌は最高だったし、萌音ちゃんは本当に本当に可愛かったです!!語彙力!!!