二都物語、東京千穐楽おめでとうございます。
夢のような1ヶ月でした。
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二都物語12年ぶりの再演に寄せて - くちびるに歌を

忘れないように、シドニーカートンについての解釈を書き留めておきたいと思います。感想と言うよりは解釈に近いです。
私は二都物語は余白がある作品だと思っていて、その解釈の余地を愛しています。
あくまで1解釈としてご覧下さい。
シドニーカートンが星空の先に見たのは何か。
私は、「夜明け」だと願ってやみません。
そのお話をしていきますね。
シドニーカートンは夜空を得た
まずは衣装の話から。
まずなんでカートンの衣装が灰色であるか考えてみました。
思い浮かんだのは灰色=曇り=星が見えない。
つまりカートンの今までのからっぽな人生の象徴。
となると、ルーシーからもらったあの紺色のスカーフはどうでしょう?あれは夜空の象徴です。
私は初め、ルーシー、そしてルーシーの娘は明らかに星そのものを表現してるから、渡すスカーフも黄色では?と思っていました。
でも、紺色であってるんです。
彼は星をもらったんじゃなくて、星を「見つけることができる」夜空をもらったのです。
まさに「この星空」の歌そのものなのです。
シドニーカートンの絶望と希望
実は、そもそも、何故シドニーカートンが自暴自棄になってしまったのか、そのきっかけは原作にも明確には描かれていません。
ミュージカル出てきたちょっとしたヒント2はつあります。
・最初の歌、酒を飲むと「誰も(自分に)寄り付かない」、「だからこの世が好きになる」「まるで(世界が)まともに見えてくる」。
・ストレイバー「お前の両親がいくらお前を嫌っているからって」
→カートン「両親が俺を嫌っているんじゃない、俺が両親を嫌っているんだ」
実はミュージカルにはないヒントが原作にあります。
・ダーニーと共に酒場にいるシーンにて、カートンのセリフ、「1番の望みは、この世に生きているのを忘れることだ」。
・ストライバーとの対話にて、学生時代カートンは「友人のためには体を張っても、自分のためには何もしなかった」。
そして、唯一彼の過去が書いてある一文があります。夜の散歩の際の回想シーンで、要約するとこのような描写がありました。
かつて前途を嘱望されていたカートン亡父の葬式に立ち会っている。母は何年も前に他界していた。
そう、彼は身寄りが無い。「孤独」なのです。
そして、この経験が尾を引いて、彼に暗い影がさしているように思えてなりません。
原作のカートンはルーシーにこう言います。
「私は若くして死んだも同じです。はじめからずっとそうだったかもしれない。」
彼の孤独は救いようのないほど根深いのです。
芳雄カートンはどれくらい原作の設定を引き継いでいるかは分かりません。
ただ、ミュージカルも原作と同様に、彼が「孤独」だったことは見え隠れしています。そして、カートンは「自分を大切にできない人」だったことは彼の様々な行動からもわかる通りです。
カートンの堕落の奥底にある孤独に気づいたのはルーシーでした。
カートンはルーシーの無償の愛に触れて「蘇った」。
カートンの世界が輝いて見えたのは、もちろん恋なのかもしれません。でも、私は、もっと大きな「生きる希望」だったと思います。
ちょっとしたことで灰色の世界が色付いて見えた。傍から見れば滑稽なくらいに。
「この星空」の冒頭がコミカルな演出なのはそのような意図があったのではないでしょうか。
そして、とても重要なことを思い出しました。
イギリスって地理的に晴れが少ない国なんです。カートンの心のような、曇りと雨の国。
もちろん夜も曇ってることが多いのです。
ということは、カートンが見た星空はものすごく貴重なのではないでしょうか。もちろん心象風景でもあるけれど、本当に本当に奇跡的なことだったのです。
シドニーカートンはどんな人物か
原作とミュージカル、私はカートンから受けた印象が少々違いました。
原作だとカートンが人生を達観しすぎてて精神年齢が異様に高いのです。ロリーと話している時も「君はまだ若者じゃないか」と正されるほどに。よって、カートンは兄でダーニーは弟に近い関係になります。ルーシーの家族を見守る姿も親戚のおじさんのようなのです。
一方、ミュージカルだと、カートンは悲観的だけど達観してはいなそうです。カートンはダーニーと対等な精神年齢だからライバルになるのです。
原作とミュージカルはルーシーへの好意の向け方も異なります。
原作は「あなたが私に好意を寄せていないことは先刻承知だし、求めるつもりもありません。相手にされないのを、むしろ有り難く思っているくらいです」「でも…」と心の内を泣きながら明かすシーンがあります。それ以外の場面ではルーシーへの思いをカートンは抑え込んでいます。
ミュージカルだと、ルーシーから目の前で断りを入れられてしまいますし、ダーニーに対して「どうしてああなれないんだろう」という嫉妬と劣等感が大きいように感じます。
特に、「夢が叶うなら」で芳雄カートンがルーシーの娘を見つめるシーンで形容しがたい表情をしていたのが印象に残っています。ルーシーが娘を抱いてるの見る時の表情が驚き→喜びと寂しさがごちゃ混ぜになった表情へ。目の前で夢が砕かれた思い、ルーシーの幸せを心から祝う思い、そんな複雑に絡み合った思いが芳雄カートンを構成しているのです。
ちなみに、原作だとバーサッドとの取引やダーニーとの牢屋の下りに再婚の話を持ち出さないんです。おそらく、このカートンとダーニーの関係性の差が影響してるのでしょう。
カートンとダーニーは鏡合わせ
カートンとダーニーの関係、面白いなと思うのが、鏡合わせであるということです。私は、2人は同じ孤独を抱えていると感じています。
衣装の話に戻りますが、ダーニーも紺色の中に灰色の衣装なんです。ダーニーの灰色は過去の象徴です。ダーニーもルーシーという星を待つ夜空の色を纏いつつ、逃れられない血統という過去を内側に抱えています。誰にも言えない血の秘密。
ちなみに原作ではダーニーとルーシーの一人息子がいて幼くして死んでいます。ルーシー(娘)の弟です。つまり、ダーニーの跡取りはいないんです。忌まわしき名前が途絶えることはダーニーの望むことでしたが、息子を早くに無くすという皮肉を神様が与えてるんです。
ダーニーにもダーニーの孤独、人生の絶望があるのです。
カートンとダーニー2人の関係性も注目です。
原作だと、カートンとダーニーは出会ってから長い月日を過ごしています。互いを意識しながらそれでも戦友のように寄り添っています。
ミュージカルではダーニーが手紙を受け取るシーンにて険しい顔をするダーニーにカートンはこう呼びかけます。「どうかしたのか?ダーニー」ダーニーはこう返します。「別に、なんでもない。」
何気ない会話ですがこの声のトーンの優しさに二人の関係が垣間見えます。更に、ミュージカルでは2人のリンクが強調されているように思います。舞台上の立ち位置もそうですが、特に印象的なのは、最後の手紙のシーンです。
2人はこの歌詞を歌います。
「涙が枯れても命が尽きても君はひとりじゃない。僕がそばにいるよ。」
2人の孤独を救ってくれたルーシーへの最大限のお返しである気がしてなりません。
シドニーカートンはその星空の先に何を見たのか
原作でカートンがヨハネ伝のフレーズを呟きながら薬の調達などの準備のために夜道を歩くシーンがあります。 カートンは呟きます。
「我は復活なり、生命なり。」
ミュージカルだとクランチャーやバーサッドと出会う前に歩いてたシーンがそれに当たるかもしれません。 カートンは夜に行動しがちです。
彼にとって息がしやすいのは夜だったのかも。
シドニーカートンは前述したように救われない絶望感を抱えて生きています。永遠に続く光のない夜道のような人生。
そんな彼が、人生という絶望の中にたった一つの淡い光を見つけました。ルーシーと、ルーシーが大切にしている家族。そして、その光を守るために自分を犠牲にするのです。
彼はそこに確実に希望を見いだしていました。
それは死ぬ自体への希望ではなく、もっと先の未来への希望でした。
原作では、カートンの独白は3ページにも及び「預言ともとれる」と示されています。
ミュージカルのラストの歌詞の内容とほぼリンクしていますが、以下の部分は原作のみ記述があります。
・あの人(=ルーシーまたは、小さなルーシー?)が抱く子には自分の名が付けられるだろう。
・その子が成人したら、この身が辿ったのと同じ弁論の道を行くだろう。
・その子もやがて子を持ち、我が名になんだ名前をつけられるだろう。秀でた額と金髪に、どこやら見覚えのある少年(=自分の容姿とそっくり?)だ。
カートンは、自分の行ったことが、何世代へも渡り語り継がれ、そのことそのものが意義のあることだと思っていたのかもしれません。
このことは、2つの意味を持ちます。
1つ目は、ダーニーとの対比です。ダーニーは一族の行ったことで、無実ながらも死刑を下されてしまいます。末代まで続く恨み。そして、切っても切り離せない血の繋がり。カートンの最後の言葉はそのアンチテーゼともとれます。
2つ目は、「復活」です。
小説では「復活」が二都物語の隠れたテーマになっていると解釈されています。
・ミスターマネットが死んだと思っていたが、バスティーユから復活した
・クランチャーの仕事は「蘇り請負人」
・カートンは愛に触れることで生きる意味を取り返した。=1度死んで復活した
……などなど
カートンは何世代にも渡り語り継がれることで、復活する、つまり、生き続けるのかもしれません。
カートンが自分の死の先に見出した希望は「夜明け」です。
それは、個人の希望に留まらないのかもしれません。
ロリーの台詞に印象的な言葉があります。
「我々は奇跡の時代に生きている訳じゃない。」
それにカートンは「1人の命で全ての命が救われる、それだけでも充分奇跡じゃないですか。」と返すのです。
革命のシーンでも夜が明けるという言葉が印象的に使われていますね。ただ、私は二都物語は夜明け前の話だと捉えています。
カートンは自分が犠牲になることでルーシーだけでなく、ルーシーの家族、一族そのものを守ったと言えます。
カートンは、子どもたちが産まれてくる時代が夜明けであるように託したのです。
シドニーカートンが遺したもの
実は、ルーシーがダーニーの帰還に気づき、手紙を読む描写はミュージカルオリジナルです。
原作では小説だと馬車に乗ってから急いで出発し、入れ替わりには気づいた様子はありません。馬車が駈ける描写で場面が終わる原作も詩的で大変美しいのですが、ミュージカル版の方が幾分か救いがありますね。
原作では、彼の死は話の端々で語られています。
彼の成し遂げたことは、皮肉にも前半でカートンがおちゃらけて言っていた「英雄的偉業」なんです。カートンは後世に語り継がれる英雄になっています。
そう、パンフレットの最終ページのあの一言のように。
最後に
私は1つ疑問がありました。カートンはかなり聡い人物だと思います。そんなカートンなら、自分の人生が終わったあとに周りにどんな影響を及ぼすか考えるはずだと思っていました。
彼は果たして英雄になりたかったのでしょうか。
私は今回4回ミュージカル二都物語を観劇することが叶いました。カートンは最後のシーンとても晴れやかで安らかな表情で、本当に人生に納得して、自分の命を捧げることに満足してたんだなと感じていたのです。
しかし、4回目の観劇時、考え方が180度変わりました。衝撃でした。
カートンは、お針子クローダンが呼ばれて、手を離し、ドラムロールが鳴る瞬間、ぎゅっと目をつぶり痛そうな顔をしていました。そっから祈るような顔になって、覚悟を決めて階段を上がっていく。
カートンの最後の表情は辛そうで、でも縋るように星に手を伸ばしていて、「カートン、生きることに縋っていたかったんだな…」と涙が止まりませんでした。
カートンは手段を選んでいられなかった。必死だった。
だけど、出来ることならば、生きるのに縋っていたかったし、夜明けを見たかった。
ルーシーとその家族に英雄視されるのではなく、ずっと一緒にいたかったに決まってます。
彼が、お針子クローダンに「大丈夫」「大丈夫」と言い続ける姿は、恐ろしく人間的でした。
あぁ、私は彼のことをわかった気になっていた。
彼は聖人じゃない。英雄じゃない。神様じゃない。
「死に際しても、淋しくて悲しくて痛かった」。
そうだった。大切なこと気づきました。
原作にも彼が最後にどんな表情をしていたかは、書いてなかった。
ミュージカルを見たおかげで、彼の選択に改めて思いを馳せることができるようになりました。
感想を少し
Xでも度々呟いていたんですが、私の人生において、二都物語は重大な位置を占めています。
私はなんでこんなに二都物語に魅了されているのか、自分の事ながら言語化出来ません。
ですが、胸につかえている原作のみ存在する1つの台詞があります。カートンが呟いた一言です。
場面は敢えて言いません。それはこのような一言でした。
a life you love
直訳すると「貴方の愛する命」となり、文章にはなっていません。敢えて訳すとするなら「貴方の愛する命へ……」となるでしょうか。
これを光文社古典新訳文庫版ではこのように訳されています。
「一命、君にこそ」
このたった一言に彼の思い、そして行動が体現されてると感じませんか……?
二都物語に出会えたことへ最大の感謝を。
そして、無事千穐楽まで走り抜けられますように。
おまけ 原作豆知識
原作を読んで頂きたいので、1.2行の情報のみにとどめます。
細かいニュアンスや前後関係はぜひ原作でご覧下さいね。
〇シドニーカートン
前述の通り、多少性格が違うので展開も異なる部分があるのですが、大きく違うのはルーシーへの告白のシュチュエーションです。
ミュージカルはクリスマスですが、原作は8月の夜です。
あとは、ダーニーに「友達になりたいな」というシーンがあります。可愛いです。
〇チャールズダーニー
原作には母親の姓「チャールズ」を名乗ることになった展開が書いてあります。母親が伯爵の所業を知ってダーニーを隔離したようです。
また、ダーニーが貴族を辞めてイギリスなんの職業をしていると思いますか?原作だと大学のフランス語講師です。 しかもケンブリッジ大学。 フランス文学に詳しい上級フランス語講師だそうです。頭良い!!!
〇ミスマネット
前述した通り、子どもが娘だけでなく、息子もいます。息子は早くに亡くなってしまいます。
〇マネット
原作との違いというか小ネタなんですが、冒頭で作ってるのは靴です。多分刑務所で作らされてたんですね。原作だと最後に、正気を失ってしまい、カートンがラストの展開を迫られる筋書きです。
ミュージカルでは幾分か救いがあって良かった……
〇バーサッド
原作ではバーサッドはミスプロスの弟です。
(ミュージカルではこの設定が踏襲されていたかは不明です。)
また、ミュージカルで酒場に集う人々を指さして「ジャック」と言っていますが、「ジャック」は「農民の典型的な名前」だそうです。原作では敢えて革命勢は全員ジャックと名前を呼びあっています。ガスパールも原作にはいません。
ミュージカルだと「私たちはここにはいない」という貴族たちに虐げられる象徴になってますね。
〇ドファルジュ夫人(テレーズ)
原作では復讐の女神と表現されています。
最期のシーンは分かりにくいですが銃の暴発です。ディケンズフェロウシップ協会の「カートンという男」に書いてあったのですが、カートンの死と対比されており、比喩表現も同じだそうです。
〇ミスプロス
原作ではドファルジュ夫人が銃を暴発した時に、耳が聞こえなくなってしまいます。
ミュージカルだと救いがあって良かった……
〇ストライバー
原作ではカートンと学生時代からの知り合いのようです。ちなみに、ルーシーに失恋した後に結婚しています。
〇エヴレモンド侯爵/ダーニーの父
原作では兄にくらべれば、弟はいくらかましな性格で、態度も穏やかと表現されています。
ミュージカルだと兄=原さん、弟=岡さん
ですね。
これで本当に〆とします。
二都物語が沢山の方に愛されますように。